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呪術と死と合理。

昨日は、寺子屋に通っていた4歳の女の子が亡くなったというニュースがあり
その前の日は、寺子屋の扉をつくってくれた大工の兄ちゃん20代前半の死。
どちらも、呪術がらみのストーリー付きで、なんとも・・・なのですが、
理解不能なことや解決しがたいものごとを呪術という「超越的ツール」により
理解し、帰結点として「納得」させる、というのは、
今の日本にもあること。

4歳の女児のほうは、
ペンバから車で2時間ほどの町に住んでいる女児のばーちゃんが病気で
自分の死を伸ばすためにフェティセイロ(黒魔術師)を使い
「より若い家族が死ぬとあんたは長生きできる」ということで
孫が亡くなった(亡くなされた)らしく
両親は怒り心頭で、ばーちゃんの町に娘の遺体を運び
「これで、満足か!」と怒鳴ったと。

大工の兄ちゃんのほうは、
男の女が出産もしくは流産後1ヶ月以内に性交渉をすると
性交渉をした男の腹のなかに悪いものが溜まり、腹が膨れて死ぬ。
性交渉をしてしまった場合は、クランデイロ(白魔術師)に頼んで
伝統薬を処方してもらい、腹にたまった悪いものを出してしまわなければ
ならない。。。。
という前提で、クランデイロに処方薬を頼まなかったので
腹が膨れて亡くなったということです。

死が、日常的であり、医療技術も非常に低いし、
住民の近代論理的な知識も低いため
頻繁に、死亡ニュースがやってきます。

不可思議・理解できないものを、手の施しようがないものごとを、
人のせいにすることもできないことを、
呪術という「超越的」ツールにて、「合理化」する。

死を生の一部として当然の自然の営みとして受け入れる耐性は
日本人よりも高いかもしれません。
むろん、肉親の死は嗚咽泣き叫ぶほど痛いこともありますが
こっちの子供たちは、死ぬ、ということが身近で
親しい人の死によって、憂鬱になったりしていないように思います。

一方、旦那が亡くなったりすると、大声で歌うように咽び泣く女たちの姿に
これは儀式として咽び泣いているんだろうな。咽び泣くことが礼儀なんだろうな。
とこれまで何度か感じてしまったことがあります。
遺体のそばから離れると、女の歌うような咽び泣きが、なくなる。
遺体のそばで悲しみ歌うのが、レスペクトなんだろう。

もう一方、我がファミリーの2ヶ月女児が亡くなったときは
淡々とした作業のものと、自宅庭への埋葬が行われました。
(1歳未満は、まだ人間ではないと認識され、庭に埋める。それ以上の年齢は、墓)

まだこれから、いろいろな死がふりかかってきて
周りの人がどう感じているのか、
そして私自身がどう感じることが変化していくのか、
学ばざるを得ないです。

それも、私もいつかは死する人間として、望むところ。